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本当の魔女

生まれて初めて出会った魔女の事をよーく覚えています。

転んだ時。悲しくて仕方がなくて泣いているとき。こわーいことを想像してしまって、トイレに行けなくなったとき。そんな時に魔女は現れました。

「大丈夫」「いたいのいたいのとんでいけー!」

言葉はなくとも、つないだ手やおんぶされた背中に魔法が宿っていた。今考えても、あれは確かに魔法だった。としか言えない存在の、幼い頃に出会うお母さんの存在。

けれどいつか、そのぬくもりからの脱皮をしたくなり、そう。「魔女の宅急便」のキキのように、ひとり立ちをするようになるのです。

自分で物語を読めるようになってから、私を一番魅了したのは魔女の存在でした。「魔女」が出てくる物語を手あたり次第読みながら、お姫様に憧れない自分が不思議で仕方なかったのです。

世の中は、こんなにも魔女の物語であふれているのに、本当の魔女は一体どこにいるんだろう?それから、魔女のことについて調べることが、いつしかライフワークになりました。

世界最古の魔女の絵は12世紀に描かれたものです。馬に悪魔の化身のような生き物と一緒にまたがる裸の女性。それが魔女でした。その後1451年に箒にまたがって飛ぶ魔女の絵が描かれています。それほど、魔女はむかしむかしの大むかしから、私たちのそばにいたのですね。

現代のように、医療も薬も発達しておらず、お医者さんという存在がいなかった中世の時代。子どもが生まれても、今、この瞬間に病に侵され、死んでしまうかもしれないという恐怖にさいなまれていた母の存在。それが、魔女の発端だったと言います。

 

賢い母たちは、子どもや家族の命を守るため、森に分け入り、薬になる草花を見つけ、自分で試し、家族のために煎じて備える。そのことを知った時、いつの時代も、家族を思う母の気持ちに変わりはないのだと、古野の時代に生きた賢い母たちに、心でそっと手を合わせました。

 

万物に神が宿ると信じた魔女たちは、たった一人を神と崇めたい世の移ろいに、迫害を受けてしまいます。それがあの「魔女裁判」でした。ジャンヌ・ダルクが科された火あぶりの刑です。

 

悲しい歴史は科学の進歩によって証明されました。つまり、呪術や錬金術は想像の域を脱しない。絵空事であると判断されたのです。

 

けれども、魔女の薬草の知識や、暮らしの生きた知恵。自然と融合した生き方は、細々とですが現代まで受け継がれています。

八百万の神を信仰する日本人の考え方と、魔女の生き方は、相通じるものがあると私自身は感じています。

 

それに、物語に登場する魔女にはウキウキさせられませんか?

13歳でひとりだちするキキ。

ドイツのふかい森の奥。ぽつんとある、ひしゃげた屋根の一軒家に住むちいさい魔女。

中つ国のガラドリエル。

まさに現代の魔女、ハーマイオニー。

たくさんの魅力的な魔女が、どこかにいると想像するだけで、なんだか嬉しくなりませんか?

 

頭が固いと、魔女にはなれません。

柔らかい頭と、柔軟な姿勢と、何でも楽しむ心があれば、誰だって魔女になれる。

そんな風に生きたほうが、きっと毎日は楽しいものになると思うのです。

 

心にいつもワクワクを。