うちの敷居を跨ぐものは、心から真剣に選びたい。嫁を迎え入れる、姑の嫌味にも聞こえるかもしれませんが、そもそも、敷居を固く閉ざしておかなければ、ものは、倍数で増えて行くと、実感したから。
それに、「間に合わせ」で買うものの行く末はほとんどがゴミ箱行き。ということに、ようやく気がつきはじめた。と言うこともあるかもしれません。
けれど、やっぱり一番は、見ていて心地よいものと付き合いたい。と思っているから。
ですから、そんな理由で我が家には10年も醤油差しがない。ということが起きてしまうのです。
例えば、結婚してすぐに、ボウルが必要だと気づいたのですが、台所用品屋さんには、なんだかピカピカしたものばかりならんでいました。あの、ステンレスのボウルです。あれを台所に迎え入れるのはちょっと抵抗があり、しばらくはル・クルーゼの鍋をボウル代わりにしてやり過ごしていました。
しばらくして出会ったボウルは、鈍く霞んでいるけれど、しっかりと重みのあるもの。重みがあるので、ボウル自体がくるくる回らず、中で材料が混ぜやすい。それは柳宗理のものでした。
と、こんな風に探して探して、10年も経ってしまったものが、醤油差しだったのです。だったら、醤油差しの理想って何なのよ?と聞かれても、
「蓋がプラスチックじゃないこと」
「液だれしないこと」
「子どもが使いやすいこと」
「美しいこと」
と、曖昧です。利便性ではなく、形を優先すると、本来の目的を見失うし、形でなく利便性を優先すると、食卓に出しっぱなしもできなくなる。
「うーむ……」と、台所用品のお店の醤油差しを前に、腕を組み、眉間にシワを寄せる怪しい主婦。
はい。それは、私のことです。
けれども、運命の赤い糸があるなら、きっとそれはこれ。だって10年の長い年月を、この醤油差しは、待っていてくれたのですからね。
見つけた瞬間、即座に手に取りレジへ運んだのは言うまでもありません。
もの、が、心の琴線に触れた瞬間てもありました。
食器棚に鎮座する、この醤油差しの堂々たること!いらっしゃい。待ってたよ。