ぐわん、ぐわん。
と、何か、物凄いチカラで引っ張られる。
世界が変わる。と言う瞬間を、まさに目の当たりにしている、ここ最近の新型コロナウィルス騒動です
足元がぐらぐらする時、色んな人の色んな生き方を目の当たりにしてしまい、少なからず動揺することもありますねぇ。
けれども、やっぱり、地に足をつけて生きるしかないと、思い知らされている気がしているのは私だけでしょうか?
そんな中にも、春の日差しが訪れて、硬く閉ざしたクリスマスローズの蕾が花開きました。
なんて可憐で、なんて瑞々しい姿だろうと、俯きながら咲くその姿に、この花と出会った小説をめくる。
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若草物語
オールコット作
松本恵子訳
新潮文庫
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この小説の「経験」という章を、本棚の前に立ちすくんで開いたが最後、読みふけってしまうのは日常茶飯事。
「六月一日!キング家の人たちは明日海辺へ行ってしまうのよ。そしてわたしは自由になるの!三カ月の休暇!わたしどんなに楽しめるかしれないわ!」
という長女メグの言葉から始まるこの章のお話しは、少しの説教臭さを伴いながらも、私の人生に深く根差したエピソードのお話しであることは間違いないのです。
この休みを四姉妹は「遊んですごそう!」と提案し、お母さまに許しを請います。その際のマーチ夫人の言葉には線を引き、ドッグイヤーをつけている。
「あなたそれが良いかどうか、一週間試しにやってごらんなさい。土曜日の晩にはきっと遊びばかりで仕事のないのは、働くばかりでなんの遊びもないのと同様に面白くないことをはっけんするでしょうよ」
余裕たっぷりに返すお母さま。私は残念ながら、こんな余裕のある母親ではない。そしてさらに、内心は飽き飽きしている娘たちに追い打ちをかけるようにこの試みに締めくくりをつけます。
まず、お手伝いのハンナに休暇を与え、マーチ夫人自身も、具合が悪い振りをして、一芝居うつのでした。
煮出した渋い紅茶と、焦げたオムレツ、膨らし粉の固まったビスケットの朝食を恭しく受け取ったマーチ夫人は、ジョーが階下へ降りてしまってから大笑いをするのでした。
物語は進み、昼食にお隣のローリィを招待するも、こちらも大失敗。たくさんの大失敗な一日が終わり、夕闇迫る玄関ポーチで疲労困憊な四姉妹が呟く言葉の中に、エミィのこんな言葉があります。
「家庭のようではありませんでしたわ」
そしてマーチ夫人はこう答えます。
「家庭の楽しさは、各自が自分の役目を忠実に果たして初めて味わえるものだということを、あなた方に悟らせてあげたかったのです。」
本当にその通りだと思うのです。
家庭を心地よく整えることは、家族の協力が必要なのです。心許し合える間だからこそ、家を心地よく保つために、それぞれが気配りをする。そのことが暮らしの足元を確かなものにし、やがては困難に立ち向かう力にもなり得るのだと、私は強く強く信じているのです。