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ーサラバ、炊飯器ー

どうも、おかしい。

日に日に、固くなってしまう。
保温しておくと、黄色くなる。
炊き上がりなのに、柔らかいところと硬いところがある。
ついには、デジタルの時計機能に表示される、炊き上がりまでの時間も、記された時間と異なって、ずれてきている。


あぁ……。この方は、寿命を全うしつつある。

 

そう思わずにはいられない程の末期症状。くる日もくる日も、我が家の食事の根幹を支え続けてくれた。それは我が家の炊飯器くん。

本当にご苦労様。そして、ありがとう。この御恩は決して忘れません。どうか、安らかに。
 

そう言って、我が家は炊飯器くんとオサラバしたのです。

 

新しい炊飯器、どうしようかな……。やっぱ10合炊き。色は?白?黒?うーん。

 

いや、まてよ。我が家には土鍋があるじゃないか!そうだ!土鍋でごはんを炊くことに憧れていたじゃない!さぁチャンス!今こそ、土鍋でごはんのお出ましだよ!

 

と、土鍋生活がはじまりました。

 

一日三回。美味しいご飯を食べることに半ば半生をかけている食いしん坊な私は、毎食3合~5合をせっせと土鍋でごはん炊き。炊き上がったら土鍋ごと食卓に運んで「いただきます」。重い蓋を開けた時に立ち上る湯気にたまらない幸せを感じ、家族で食卓を囲める当たり前に感謝する日々。

 

そうそう。そうなんですよ!ごはんを食べることって、本当は感謝しながら、笑い合いながら行うことであるはず。ところが、ボタン一つで出来上がったごはんには、どうも当たり前感があったのです。けれども土鍋で炊いて、食卓でお茶碗によそうごはんには、「ありがたや~」と手を合わせたくなってしまう。もちろん、炊飯器で炊いたご飯でもそう思える方はたくさんいらっしゃるでしょう。けれど私のようなフトドキものは、土鍋にそのありがたみを教えてもらわなければ、気づかなかったのでしょうね。本当に不出来な人間です。ごめんなさい。

 

ですが、オットはやはり炊飯器は必要だと申しております。そう。出かけたときなんかにね。やっぱり必要なのかもしれない。帰ってきてすぐにご飯を食べたい人ですから。タイマーをかけて出かけられる便利さはやっぱり捨てがたいようです。そして、私が体調を壊したとき、ごはんを炊かなければいけないというプレッシャーに、きっと戦々恐々としているはず。土鍋でごはんを炊ける男のひとなんて、きっと、ほんの一握りですよね。炊飯器でも怪しいのにさ。

 

いや、ですが、台所の主は悪いけどアタクシ。やっぱりしばらくはこの土鍋くんとがっちりバッテリーを組ませていただきますよ!おいしいご飯が食べたい!という。ちょうド級のストレートを受け止めてくれるのは、やはり土鍋くん。

 

お鍋の底についたおこげのパリパリを、まるでおせんべいのようにカリカリかじる子どもたちの姿をみて、オットは少しあきらめモードに入りつつあります。

 

私の働き方が変われば、お世話になるかもしれない炊飯器くん。

今は家にいることが多いから、お世話になっている土鍋くん。

 

暮らしのサイズ、暮らしの模様に合わせて、道具はきっと変化していくもの。頑なにならず柔らかに、その時が来たらすんなりと。

 

私も変化を恐れずに、変わらない大切なことは、しっかりとあたためながら……。