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―小さな暮らし〜コロナのまえとあと〜―

さぁ、今日も楽しもう。

外出自粛の要請が出て以降、毎朝、起きてから階段を降りるときに、呪文のように唱える言葉になりました。

今日は何を見つけよう。
今日はどんなことをしよう。

そんな風にはじめる一日は、「やだなぁ」と思ってはじめる一日とはきっと違うはず。それが一日一日積み重なって一年になる。どんな風に過ごすかを決めるのは私自身ですものね。



そうそう。皆さんにお裾分けをしたい、小さな楽しみを見つけました。

いくら、家にいなきゃいけないと言ったって、一日一回は、窓枠に囲われていない空に会いたくなるもの。それは、大人も子どもも犬のジジも同じです。

そこで、近くの土手までのお散歩が日課になりました。春の暖かい日差しに蝶が舞い、野の花や野の草がひっそりと命を育む、整備されていない土手です。

菜の花が咲き乱れるトンネルをくぐったり、からすのえんどうの笛を吹いたり、小さくて素朴な楽しみが日々の暮らしに彩りを添えてくれるように。

あぁ、これはオオイヌノフグリだ。
これは、ナズナだねぇ。
セイヨウタンポポが絨毯みたい。根っこはコーヒーの味がするんだよ。
この小さな花はヒメジョオン。こっちはハルジオン。

小さな頃を思い出して、野の花や野の草と戯れるのは、本当に楽しい時間です。そこには囀る小鳥の声。柔らかい風が頬を撫で、子どもが駆け回る姿に、これ以上の幸せはないと感じる日々。

そんな中、ふと、名前の知らない野の草がチラホラ。

そこで、咲いている野の花を「ちょっとごめんね。大切にするからね」と手折って、水を含ませたティッシュで根っこを保護しながら持ち帰りました。

そして、小さな花瓶に挿し、その花の名前を調べることに。

ノヂシャ
キュウリグサ

ノヂスミレ

キュウリグサは、ワスレナグサの仲間だなんて素敵!なんて、小さな発見がまた喜びに変わります。
スミレの可憐さには、思わず頬を緩めてしまいます。
雑草なんて呼ぶには、あまりに失礼な可憐で可愛い草花たち。

 

こんな風に、小さな暮らしを積み重ねることが、日々の幸せにつながっています。

どこにも出かけられないけれど、消費と幸せはイコールではないことに気づかされる毎日です。

 

小さく、質素に、堅実に、備えて暮らす。

保存食や薬草を知ることは、日々、何が起こるかわからない現状に立ち向かうための知恵であり、女性たちの喜びであったのだと、いまではわかります。

 

こんなときだからこそ、古の魔女の暮らしに思いを馳せて、小さな暮らしを営みたいと思っています。

これが、現代魔女のスローライフですよね。いまこそ、夢見る力を忘れずに。